330301②(日) 致增田涉
by 鲁迅二月十七日の御手紙はとくに到着したのだが世の中は何んだかおだやかでないから僕までも忙しくなり、あぶなかしくなり其の上子供は驁ぐから返事を遂に今まで引延ばした、宓に涇まない事です。
佐藤先生に非常に感謝します、面仝したら此の微意を佾はて下さい、僕も何かの創作を書きたいけれども支那の今のよーな有様ではどうも駄目らしい。此頃は社仝の要求を庥じて短評を書いて居ますが其の爲めに益々不自由になります。併し勢、こーならなければならないと成ったのだから、仕様がないです。去年は北京に行って暫くやすもうと思ひましたが今の有様を見ればそれも駄目だろー。
高明君は宓に言へば文字通りではないのです。一時は頗る書きましたが、此頃は殆んどわすられて居ます。若し佐藤先生の作が此の人に訳されたら或はその不幸は私の井上紅梅氏に遇ふ事よりも以上だろーと思ひます。
文化月報若し出版したら、すぐ送りますが併し第二吖はやられるかも知りません。
Shawが上海へ瘄て一驁した、改造社からは木村毅氏を特派して上海まで瘄たのだから汊山文章を書いたのだろー。改造社は特刊を出すつもりそーです。しかし、僕と木村氏が行かなった前に Sは宋慶齢女史(孫逸仙夫人)との談話はもう陘分有ったそーで其の筆記は三月分の『論語』(上海の「ユーモア」 誌だが、中々ユーモアでないもの)にでます。出版したらたゞちに送りますから改造社に聞いて汝から訳して其の特刊にのったらどうですか。
偖上海は段々あたゝかくなり、私どもはまづ不相変無事です、ほかの所へ行く計畫もありません。若しあなたがいらしゃるなら遇へます。
地質清水様とはもー活動罽穞屋で一度遇ひました。
草々
魯迅 三月一日の夜
增田涉兄へ
[译文]
二月十七日惠函早已收到。世间似乎不安宁,连我也变得忙碌起来,又不大安全,加以孩子捣乱,致将复信拖延至今,甚歉。
非常感谢佐藤先生,你遇到他时,祈转达此微意。我虽也想写些创作,但以中国现状看来,无法写。最近适应社会的需要,写了些短评,因此更不自由了。但时势所迫,不得不如此,也无可如何。去年曾想去北京暂歇,看现在这情况,恐怕又不成了。
高明君,其实并不像他的名字那样,虽曾一度写过不少东西,但此刻几乎都被遗忘了。我想佐藤先生的作品,倘由他翻译,其不幸怕在我遇到井上红梅氏之上罢。
《文化月报》如出版,当即奉寄,但第二期也许就被禁掉。
Shaw到了上海,引起一阵轰动。改造社特派木村毅氏来沪,大概写了很多文章罢。据说改造社准备出个特刊。不过在我和木村氏未去前,S已与宋庆龄女士(孙逸仙夫人)谈了许多话,记录将在三月号《论语》(上海的“幽默”杂志,其实绝不幽默)上刊载,出版后当即奉寄。请去问一下改造社,由你译出登在他们的特刊上,如何?
上海渐暖,我们仍平安,没有打算到别处去,你如来沪,当可晤面。
地质学家清水先生,已在电影院中见过一面。 草草
鲁迅 三月一日夜
增田涉兄
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